手水
近所の神社の入り口にある手水です。
手水は昔は〈ちょうず〉と読むのが普通だったように思いますが
最近では〈てみず〉と読んだり
ある神社では手水舎を〈しゅすい しゃ〉と
わざわざふり仮名をふっている所も見かけました。
どれが正しい、正式、とかはあまり意味がないと思うので
まぁ、好きに呼べばと思います。
さてこの手水、察しの良い方なら気付いていると思いますが
昨年あたりから佇まいが激変しています。
一番大きな変化はある柄杓が無くなった事。
だからか、昔からの姿に馴染んだ世代から見たら
何となく寂しい感じに映ってしまいます。
こちらは去年見た「花手水」
まだ柄杓が現役ですね。
残念ながら、きっとこれから先も
柄杓の復活はないだろうと思います、特に木製は。
毒消し文化が残る朝鮮半島の食器のように
もしかしたら金属製になってしまうかも知れません。
金属になっても構いませんが
柄杓と手水という呼び方は残って欲しい。
ラドルとかディッパーとかじゃ
自然に八百万の神が宿っていると考える日本文化と
なんとなく合わないと思いますが、いかがでしょう。
これを書いていたら
京都の清水寺にある「音羽の滝」が
どうなっているのかが無性に気になってしまいました。
3本の清水が流れる石樋を短く削るんでしょうか
まさか途中で穴を・・・・。
もしへそまがりな私が参拝したらご利益ある霊水で
柄杓と手水の文化存続をお願いしたいと思います。